先日、歴史好きにはたまらないニュースがありましたね。
ちょうど今年の大河ドラマが、紫式部主人公の「光る君へ」で平安時代が舞台になっています。この度、有名歌人の藤原定家が直筆したと伝わる「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘」が発見されました。
藤原定家は、「新古今和歌集」や「小倉百人一首」の選者として知られている人物で、子孫にあたる冷泉家から見つかったとの事でした。注釈書の写本でさえ国の重要文化財に指定されているとあって、今回の原本の発見は、国宝級の凄い事だと話題になっています。
藤原定家の「古今和歌集」注釈書が発見される
「古今和歌集」の注釈書「顕注密勘」原本が発見されたのは、藤原定家の子孫である冷泉家の時雨亭文庫という蔵です。冷泉家の住まいは、京都市上京区にあります。
注釈書は、古今伝授箱という木箱に保管されていて歴代当主が一生に一度だけ開けられるという秘蔵の木箱との事でした。なので、今回はこの木箱を開けるのは明治以来の130年ぶりらしいです。
そして、発見された注釈書「顕注密勘」ですが、上・中・下の3巻のうち中巻と下巻が原本で上巻が写本でした。上巻の原本は、すでに火災で焼失しているため絶対にあるわけがないのです。
原本がみつかったことで今まで写本だけでは分からなかった訂正部分や紙を付け足して記入したことなども確認されたそうですよ。
古今和歌集の注釈書「顕注密勘」とは?
次に古今和歌集の注釈書「顕注密勘」について説明しますね。
顕注密勘は、藤原定家が1221年(承久3年)に古今和歌集の注釈書として書き記したものです。
写本は沢山あるのですが、原本はもう残っていないだろうと考えられていました。写本でも国の重要文化財に指定されていることは先述の通りです。和歌の研究においてかなり重要な資料となっていました。
顕注密勘は、歌学者であった僧の顕昭が古今和歌集を注釈したものに藤原定家がさらに解釈をして書き加えて完成させた注釈書になります。
藤原定家とはどんな人物か?
さて次に鎌倉時代に活躍した歌人の藤原定家についても紹介しておきますね。
藤原定家は、歌人の父・藤原俊成と美福門院加賀(美福門院・藤原得子に仕えた女官)の間に誕生しました。両親はともに歌人としての才能があり紫式部に傾倒していたそうです。そのため息子の定家も幼い頃から英才教育で文学を学んでいきました。
定家は、歌人としての才能を早くから発揮していましたが、出世は出来ずにいました。本来なら藤原道長の子孫でもある名門の血筋なのですが、祖父が早くに亡くなったため家が没落気味だったようです。
しかし、のちに後鳥羽天皇と出逢ったことで、当時の歌壇の第一人者としてその才能を余すことなく発揮することになります。「新古今和歌」「新勅撰和歌集」を選出したり「小倉百人一首」の選者したりと大活躍しました。
藤原定家の冷泉家と「光る君へ」との関連は?
2024年の大河ドラマ「光る君へ」に藤原定家の登場あるのか調べてみたらありませんでした。それもそのはず、藤原定家は男主人公・藤原道長の5代後になる子孫なので・・・。
藤原定家は、藤原道長と妾妻・源明子の間にできた藤原長家の流れを組む子孫です。源明子の子供たちは道長の嫡妻である源倫子の子供たちより政治的な出世は望めませんでしたが、その子孫たちは文化的な面で花開く結果となりましたね。
冷泉家は、藤原定家のさらにあとの子孫を祖としています。江戸時代では将軍家の歌道を指導する立場にあったり明治以降も華族として血筋を守り現在まで続いている名家の家柄です。
今回、国宝級の書物が見つかったのは冷泉家が京都に残った事も大きいのでしょうね。明治維新で天皇家をはじめ大部分の公家は東京に移り住んでしまいました。そのため戦争なので歴史を示す重要な遺物は消失したと言われています。
このように冷泉家が京都に残ったことで注釈書がとても良い状態で現存されていたことは奇跡に近いことだと思われます。